みずほ銀行発行のMizuho Asia Gateway Review 8月号に寄稿記事が掲載されました
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「183日海外にいれば日本の非居住者になる」は本当か
~間違いやすい税務論点~青山綜合会計事務所シンガポール
長縄順一 日本国公認会計士・税理士
はじめに
シンガポールに赴任される方や移住を検討される企業役員、オーナーの方から「日本の非居住者になるには183日海外にいれば良いのですよね」と質問いただくことが多くあります。ただこれは本当でしょうか?厳密に言うと間違っており、この質問に対して筆者は「183日海外にいれば必ず非居住者になる訳ではありません」と回答しています。この居住者判定については誤解をしやすい税務論点の一つです。これは日本の居住者判定については日本の国内法による区分と租税条約による区分とがあり複雑になっていることと、租税条約上では更に居住者判定とは別に所得の種類に応じて課税される国が判定されることが誤解を招いているものと推察されます。
今回は日本の居住者判定について、裁判事例等も用いながら解説したいと思います。国内法による区分
日本の所得税法では、納税義務者を以下の様に区分しています。
- 個人:居住者(更に永住者、非永住者)、非居住者
- 法人:内国法人、外国法人
このうち、非居住者は「居住者以外の個人(所法2①五)」と定義されており、居住者は「国内に住所を有し、又は現在まで引き続いて1年以上居所を有する個人(所法2①三)」と定義されています。このため、所得税における居住者と非居住者の区分を決める重要な概念は「住所」と「居所」になります。この、「住所」については所得税法基本通達2-1に「人の生活の本拠をいい、生活の本拠であるかどうかは、客観的事実によって判定する」とあり、住所の概念は日本の民法上の住所の概念を借用しています(民法22条)。
また、民法上の住所の概念について「客観的な事実、すなわち住居、職業、国内において生計を一にする配偶者その他親族を有するか否か、資産の所在等に基づき判定するのが相当(最高裁昭和63年7月15日判決)」とされており、①住居、②職業、③国内において生計を一にする配偶者その他親族を有するか否か、④資産の所在等の4つの要素に基づく総合判定になっています。税務訴訟において居住者判定を争った事案でも、この4要素に基づいて判定されています。
租税条約による区分
租税条約上、居住者の定義は基本的に各国国内法に規定することとされています(OECDモデル租税条約1条)。このため、双方の国で居住者となるケースも存在し、この場合、例えば日本シンガポール租税条約では以下の基準を順番に判定することとなっています(日星租税条約第4条)。
- 人的及び経済的関係等の重要な利害関係の中心
- 恒久的住居の所在地
- 国籍
- 両国の権限のある当局が合意によって解決
以上の通り、日本の居住者判定においては日本の国内法による区分、租税条約における区分のどちらにも183日という日数のみを基準とした判定は出てこないことが分かります。
183日ルール
それでは何故「183日」という数字が出てくるのでしょうか。これは筆者の私見ですが、①諸外国の中には183日ルールを居住者判定の基準にしている国が存在する、②租税条約上、給与所得に関する条項について183日を基準に課税判定されている国がある、ということから来ていると推察されます。例えばここシンガポールにおいては1年において183日以上滞在する場合、シンガポールのTaxResidentとしてシンガポールで発生する所得に対して課税が行われます。
また、日星租税条約の第15条の給与所得の項では、一方の締結国の居住者が他方の締結国内において行う勤務について取得する報酬については、次の(a)から(c)までに掲げることを条件として、当該一方の締結国においてのみ租税を課することができるとされており、(a)では183日という数値基準が用いられています(なお、この給与所得には役員報酬が含まれていませんので注意が必要です)。
- 報酬の受領者が継続するいかなる12箇月の期間においても合計183日を超えない期間当該他方の締結国内に滞在すること。
- 報酬が当該他方の締結国の居住者でない雇用者又はこれに代わる者から支払われるものであること。
- 報酬が雇用者の当該他方の締結国内に有する恒久的施設又は固定的施設によって負担されるものでないこと
シンガポールに居住する方で、日本の居住者判定において留意すべき方は?
①日本法人の取締役等の役員以外の方で②出向等でシンガポールに183日以上滞在している方は、日星租税条約の第15条の給与所得の条項から給与所得についての課税が整理されているため、一般的には居住者判定についてあまり気にされる必要が無いと思われます。一方で租税条約の給与所得条項の範疇外の所得を得ている方(特に企業オーナーや日本の法人の取締役)は留意すべきといえるでしょう。判例から考察する居住者判定のポイント
居住地判定に関する裁判例は複数存在しますが、タックスヘイブン対策税制に関連して納税者の居住地が争われた事案を紹介します(平成20年1月17日東京地裁、同年7月10日東京高裁判決)。<事実関係(抜粋)>
- 原告X(納税者)は日本の内国法人N社の代表取締役であったが、平成14年7月2日に代表解任、同年10月31日に取締役からも退任。
- Xは平成13年中に4,977万円、平成14年中に4,419万円の収入をN社から給与等として得ていた。
- XはN社の海外関連会社の役員等の地位についており、N・ホールディングス(マレーシア法人)の取締役、N・マレーシア(マレーシア法人)の代表取締役の地位にあった。
- Xは平成14年中にNホールディングから791万円相当、N・マレーシアから17万円相当の配当を受け取り、N・ホールディングから65万円相当、N・マレーシアから2,094万円相当の給与等の支払を受けた(全て当時の換算レートにて計算。実際の受け取りはマレーシアリンギット)。
- Xは平成8年10月30日にシンガポール国内に住所を定めた旨の転出届けを提出。ただし、その後印鑑証明を取得する等の目的で元自宅への転入とシンガポールへの転出届けを10回行った。
- 平成13年中の旅券及び出入国記録から確認できる滞在日数は以下の通り
- 日本:171日
- シンガポール:3日
- マレーシア:55日
- 香港:42日
- 中国:6日
- 米国:39日
- ヨーロッパ諸国:23日
- その他滞在国不明:26日
- 平成14年中の旅券及び出入国記録から確認できる滞在日数は以下の通り
- 日本:247日
- シンガポール:1日
- マレーシア:33日
- 香港:38日
- 中国:3日
- その他滞在国不明:43日
- Xはシンガポールの出入国カードを持っており、シンガポールで確定申告をしていた。
- Xの妻はXの日本の住民票上の住所に居住しており、海外への渡航は平成13年中で29日間、平成14年中で14日間となっていた。
<判決の概要(抜粋)>
本件における判決では、Xは平成13年中には1年の過半の期間、平成14年中でも3分の1近くの期間をXは国外に滞在している他、役員を務める海外企業から給与等の収入を得ているものの、- 他方で滞在日数の最も長い国・地域は本件各年分を通じて日本である上、日本以外の国でのそれぞれの滞在日数は、日本の滞在日数と比較して格段に短いものであること
- 代表者、取締役を勤める日本法人から多額の収入を得ていたこと
- 国内の自宅には配偶者がそのまま居住していたこと
おわりに
上記裁判事例からも、居住地判定は日数だけでは無く、住居、職業、国内において生計を一にする配偶者その他親族を有するか否か、資産の所在等から総合的に判定されることがわかると思います。このため特に給与所得以外の所得が発生する方は安易に「183日海外にいれば日本の非居住者になって日本の税金がかからない」と考えず、慎重に検討することが望まれます。
長縄 順一
Aoyama Sogo Accounting Office Singapore Pte. Ltd..公認会計士・税理士
慶應義塾大学経済学部卒。1998 年監査法人トーマツに入所し、監査業務、株式公開支援業務に従事した後、2001 年より青山綜合会計事務所に入所。数多くのファンド組成・管理、クロスボーダー取引へのアドバイザリー業務に携わる。その後、同社にて海事グループ及びグローバル・アドバイザリーグループを統括し、2012 年より青山綜合会計事務所シンガポールオフィスの代表としてシンガポールにて日系企業の海外進出支援業務を担当。